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いくよくるよ師匠は誰?今キタエの由来・師弟関係から訃報と功績まで徹底解説

言ノ葉 あかり 言ノ葉 あかり • 更新: • 公開: • 読了約 14 分
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「いくよくるよ師匠は誰?」「島田洋之介・今喜多代とはどんな関係?」「今キタエ」「今キタナイ」という名前は何に由来するのか――。昭和から平成にかけて、女性漫才師の新しい時代を切り開いた今いくよ・くるよの二人には、芸歴をたどると見えてくる意外なエピソードが数多くあります。

今いくよさんは2015年5月28日に胃がんのため67歳で逝去。相方の今くるよさんも2024年5月27日に膵がんのため76歳で亡くなりました。2026年現在、二人の新たな舞台を見ることはできませんが、1980年代の漫才ブームを彩った「どやさ!」の笑いと後輩芸人たちに受け継がれた功績は、今も語り継がれています。

【師匠は誰?】島田洋之介・今喜多代との師弟関係を解説

いくよくるよ師匠

今いくよ・くるよの師匠は、漫才コンビ「島田洋之介・今喜多代」です。二人は1970年に入門し、師匠のもとで演芸の基礎を学びました。

島田洋之介・今喜多代は、昭和の上方演芸界で活躍した夫婦漫才コンビです。島田洋之介さんの本名は堀保。妻の今喜多代さんと組み、対照的な体格や掛け合いを生かした漫才で人気を集めました。後進の育成にも力を注ぎ、今いくよ・くるよのほか、島田紳助さんやB&Bなども同門の芸人として知られています。

ここで押さえておきたいのは、師弟関係を語る際には「島田洋之介・今喜多代」という師匠コンビの名前と、直接の入門先として記録される今喜多代さんの名前を区別することです。吉本興業の公式訃報や大阪府立上方演芸資料館の紹介では、二人が1970年に今喜多代さんに弟子入りした経緯が説明されています。

二人は高校時代からの同級生で、会社勤めを経験した後にそろって芸の世界へ入りました。学生時代からの友人関係を保ちながら、同じ師匠のもとで技術を磨いたことが、長年にわたるコンビの土台になったと考えられます。

【今キタエ・今キタナイの由来】正式な芸名だったの?

検索されることの多い「今キタエ」「今キタナイ」は、二人の芸名の由来を知るうえで興味深い小話です。伝えられているエピソードでは、師匠の「今喜多代」という名前にちなみ、いくよさんが「今キタエ」、くるよさんが「今キタナイ」と表現したとされています。

「今喜多代」の名前をもじり、「鍛える」を連想させる「キタエ」と、「汚い」を連想させる「キタナイ」を並べた言葉遊びとして受け取ると、そのユーモラスな響きが伝わります。ただし、これは二人の正式なコンビ名や芸名ではありません。あくまで師匠の名前をもとにした小話として知られるものです。

二人の正式なコンビ名は「今いくよ・くるよ」。初期には本名にちなむ「スエ子・正子」の名前で舞台に立ったとされ、やがて現在広く知られる芸名で活動するようになりました。

このエピソードが象徴するのは、二人が師匠の名前や芸の世界の慣習を、笑いに変える感覚を持っていたことです。師匠を敬いながらも、言葉の響きや意味を使って笑いを生み出す姿勢は、後年の漫才にも通じています。

【高校時代と元OL時代】ソフトボール部から漫才師への転身

二人の出発点は、京都明徳高校時代にさかのぼります。同級生としてソフトボール部で一緒に過ごし、卒業後はそれぞれ会社勤めを経験しました。今いくよさんは本名を里谷正子さん、今くるよさんは本名を酒井スエ子さんといい、二人とも一般企業で働いた時期があります。

大阪府立上方演芸資料館の紹介では、いくよさんがピッチャー、くるよさんがマネージャーを務めていたとされています。一方、二人の漫才には「私たち高校の頃にソフト部やってまして、私ピッチャーでエース。くるよちゃん、キャッチャーでロース」という趣旨の持ちネタがありました。

ここで注意したいのは、ネタの中の「キャッチャーでロース」を、実際の部活動でのポジションと混同しないことです。「ロース」は肉の部位を使った言葉遊びであり、野球・ソフトボール用語の「キャッチャー」と並べることで笑いを生み出しています。実際の役割については、資料館の記録と漫才のネタを分けて理解する必要があります。

漫才の世界へ進むきっかけには、くるよさんがいくよさんを誘った経緯が伝えられています。二人は1970年に師匠へ入門し、1973年にコンビとしてデビューしました。会社員としての生活から演芸界へ転身した二人にとって、これは大きな人生の転機でした。

デビュー直後から全国的な人気を得たわけではありません。京都の同級生という関係を保ちながら舞台経験を積み、互いの個性を漫才に取り込んでいったことが、後のブレークにつながっていきます。

【年表で整理】漫才ブーム・代表的なギャグ・受賞歴

今いくよ・くるよの漫才が広く支持された理由は、二人の外見や衣装の対比を単なる見た目の違いで終わらせず、テンポのよい掛け合いに結びつけた点にあります。細身で濃いメークやつけまつげが印象的ないくよさんと、ふくよかな体型に華やかな衣装をまとったくるよさん。互いの個性を遠慮なくネタにするスタイルが、1980年代の漫才ブームで大きな存在感を放ちました。

時期 出来事 注目ポイント
高校時代 京都明徳高校の同級生としてソフトボール部で活動 長年続くコンビの出発点
1970年 島田洋之介・今喜多代に入門 師匠のもとで漫才を学ぶ
1973年 コンビとしてデビュー 会社勤めから演芸の世界へ
1981年 第10回上方お笑い大賞・金賞 実力が評価される
1982年 第2回花王名人大賞・最優秀新人賞 漫才界で存在感を高める
1984年 第19回上方漫才大賞・大賞 上方漫才を代表するコンビへ
2015年5月28日 今いくよさんが胃がんのため逝去 67歳。相方との長いコンビ活動に区切り
2022年4月 今くるよさんが「伝説の一日」に出演 これが最後の舞台となる
2023年 第26回上方演芸の殿堂入り 関西演芸界への功績が評価される
2024年5月27日 今くるよさんが膵がんのため逝去 76歳。訃報は翌28日に公表
2025年3月3日 なんばグランド花月で追悼公演を開催 後輩芸人たちが二人の笑いと人柄を振り返る

代表的なギャグとして知られるのが、くるよさんの「どやさ!」です。お腹をポンとたたくしぐさや、両手を顔の前で交互に前後させる動きとともに、本人を象徴するフレーズになりました。吉本興業の公式訃報でも、後輩たちがまねをするほど親しまれたギャグとして紹介されています。

また、「くるよちゃん、そんなとこから脚出して」「これは腕やっちゅうねん」といった、身体の見え方をめぐる掛け合いも印象的でした。二人のネタは、言葉だけでなく、衣装や動作、間の取り方まで組み合わせた総合的な舞台表現だったのです。

受賞歴も、その活躍を裏付けています。1981年の上方お笑い大賞・金賞、1982年の花王名人大賞・最優秀新人賞、1984年の上方漫才大賞・大賞など、複数の主要賞を獲得。さらに2023年には、第26回上方演芸の殿堂入りを果たしました。大阪府立上方演芸資料館は、上方演芸の発展に大きく貢献した演芸人を顕彰しており、二人の功績は後世に伝えるべき文化的な財産として位置づけられています。

【死因と訃報】今いくよさんは2015年、今くるよさんは2024年

今いくよさんは2014年に胃がんを公表し、治療のために休養しました。同年12月には舞台に復帰しましたが、2015年5月28日、入院先の大阪府内の病院で胃がんのため67歳で亡くなりました。所属事務所の発表を受け、各メディアが訃報を伝えています。

今くるよさんは、2024年5月27日に膵がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。76歳でした。吉本興業が訃報を公表したのは翌日の5月28日です。そのため、「2024年5月28日の訃報」と「2024年5月27日の逝去」は、同じ出来事に関する発表日と死亡日をそれぞれ指しています。

くるよさんは、いくよさんの死去後も後輩芸人たちとの交流を続けました。2022年4月には、吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」に出演。なんばグランド花月の舞台で「どやさ!」を披露したこの公演が、最後の舞台となりました。

二人の訃報を受けて改めて注目されたのは、芸人仲間との深い結びつきです。吉本興業の発表では、くるよさんが後輩たちに衣装の靴やスーツを贈ったり、食事をごちそうしたりしていたことも紹介されています。舞台上の華やかなキャラクターだけでなく、後輩を支える人柄もまた、二人が長く慕われた理由の一つでした。

【2026年最新】二人の功績と芸能界での評判、現在の継承

2026年現在、今いくよ・くるよの二人はともに亡くなっています。しかし、二人の活動を振り返る機会は、追悼公演や放送番組などを通じて続いています。

2025年3月3日には、なんばグランド花月で追悼公演「きょうはどやさの日!~ひな祭りはいくよ・くるよと笑いよし!~」が開催されました。生前、二人がひな祭りの日に女性芸人たちを集めて食事会を開いていたことにちなむ企画です。公演では中川家が二人の姿を再現した漫才を披露し、ベテランから若手まで多くの芸人が集まりました。同年5月にはBSよしもとでも追悼公演の特別番組が放送されています。

二人の功績を考える際、単に「女性漫才師の先駆け」という肩書だけでは十分ではありません。大きな特徴は、女性芸人が舞台上で自分自身の外見やファッションを笑いの中心に据え、独自のキャラクターを確立したことです。二人は互いを対等な相方として扱い、体型や衣装をネタにしながらも、観客が覚えやすい動きや言葉を生み出しました。

また、後輩芸人との交流を大切にした点も見逃せません。追悼公演に世代を超えた芸人が集まったことは、二人の存在が舞台上の人気にとどまらず、演芸界の人間関係や後進育成にも及んでいたことを示しています。

ネット上で二人の情報を調べるときは、正式な芸名とネタの中の言葉を区別し、師匠の名前や死亡日・訃報発表日を混同しないことが大切です。特に「今キタエ」「今キタナイ」は言葉遊びのエピソードであり、正式な芸名ではありません。また、今くるよさんの訃報が発表されたのは2024年5月28日ですが、逝去日はその前日の5月27日です。

【いくよくるよ師匠】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:今いくよ・くるよの師匠は誰ですか?

A1:師匠は島田洋之介・今喜多代です。二人は1970年に入門し、師匠のもとで漫才を学びました。入門先については、今喜多代さんの名前が特に記録されています。

Q2:「今キタエ」「今キタナイ」は何の名前ですか?

A2:師匠の「今喜多代」という名前をもとにした言葉遊びとして伝えられています。二人の正式な芸名ではなく、エピソードの中で語られる呼び名です。

Q3:今いくよ・くるよは高校時代に何をしていましたか?

A3:二人は京都明徳高校の同級生で、ソフトボール部の仲間でした。資料館の紹介では、いくよさんがピッチャー、くるよさんがマネージャーを務めたとされています。

Q4:今いくよさんと今くるよさんの死因は何ですか?

A4:今いくよさんは胃がんのため2015年5月28日に67歳で逝去しました。今くるよさんは膵がんのため2024年5月27日に76歳で逝去し、訃報は翌28日に公表されました。

Q5:今くるよさんの最後の舞台はいつですか?

A5:2022年4月、なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」です。2025年には同劇場で二人の追悼公演も開催されました。

今いくよ・くるよの師匠は島田洋之介・今喜多代であり、二人は高校時代の同級生から漫才の相方へと歩みを進めました。「今キタエ」「今キタナイ」の小話や、ソフトボール部の経験を生かしたネタは、二人が日常の言葉や思い出を笑いに変えてきたことを物語っています。

2015年に今いくよさんが、2024年に今くるよさんが亡くなったことで、二人がそろって舞台に立つ姿は見られなくなりました。それでも、1980年代の漫才ブームを支えた実績、くるよさんの「どやさ!」、後輩芸人たちを支えた人柄は、追悼公演や映像を通じて受け継がれています。

二人の歩みから読み取れるのは、長く愛される漫才には、技術だけでなく、相方との信頼関係、個性を生かす発想、そして次の世代へ手を差し伸べる姿勢が欠かせないということです。今いくよ・くるよが築いた笑いは、昭和・平成の懐かしい記憶にとどまらず、上方演芸の歴史を語るうえで今も欠かせない存在です。

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